8月頭からセブへ行っておりました。セブ滞在の目的は様々あり、なかでもメインはマクタン空港から車で4、5時間のオスロブ。セブ到着、どこか浮かれ気分の私。しかし空港を出れば、すぐにそこは想像を超える貧富の状況がありました。あまりにも悲しい現状を目の前に、私はしばらく言葉を失っていました。道中、現地ドライバーのブライルと仲良くなりました。ブライルは日本好きで、現在、奥さんは日本で仕事をしており、私と同じ7歳の息子を持つ父親。この滞在では、彼とたくさん話をした。移動中では過酷なスラム地やバラックをいくつも抜けた。ガリガリになった野犬、ゴミの山に集まる人。力強く光る瞳。そして優しい笑顔。聞くと、やはりそこはストリートチルドレンの暮らすエリアでした。
スラムでは先ず仕事がなく、食べ物がなく、放置されたゴミの山のなかから、今日を生きぬくための食料を探すほどの状況。そうしたゴミの山でも生きるために大切な場所。そのため、野良犬や子供たちが集まり暮らしている。私は、正直、生きることの素晴らしさではなく、真逆の、生きる過酷さを叩きつけられた瞬間だった。
このセブでは90%の人がカトリック信者で、皆が祈ることで生きることを根強く起動させる国。あまりにも貧しい生活の中、仕事のない中でも、強く生きることを子に教えるのが、親の役目。私はとても胸が苦しかった。そして、どこかこのまま帰る訳にはいかないと感じ始めていいた。そして、ブライルに失礼な質問と感じながらも母国への思いと、アイデンティティを問いた。すると彼は笑顔で「なにがおきても、私たちはポジティブです。そして、家族を大切にします。」と答えた。私は胸を打たれた。そして、とても嬉しかった。それから、家族の存在、フィリピン人の神への思い、サントニーニョとマリアの存在と、多くのことを彼から教わった。週末、彼は仕事ではなく、友達として私を様々な場所を案内をしてくれた。そして、通常では行くことのない、マクタン島の古い教会に連れていってくれた。そこには、子どもから高齢の方々が大勢集まり、祈り、自分と、そして他の人の幸せを心から想い願うその姿を見た時、不思議と涙がこみあげた。正直、私に何ができるかはわからない。しかし、私には、有り難い話、選択することの自由は与えてもらってると感じる。私は、セブで見たストリートチルドレンの子供たちの笑顔を決して忘れないと強く思った。そして、人に喜びと、驚きと、感動を届けることのできる映像を作りたいと素直に感じた。
私の娘は、カトリック幼稚園に通っているため、食事のまえに時折「食べ物がない人や、困ってる人を助けてあげてください」とお祈りをする。日本に帰国した翌日、朝食の時に娘が「食べ物がない人や、困ってる人を助けてあげてください」と清らかな表情でお祈りをした。私は、そんな彼女を見て、自然と笑顔になり、優しく力強い涙がこもった。そして今、私もこれまでよりも少し、自分以外の人を想い、願うこのできるように感じます。本当に学びの多い時間でした。そして、大きなものを得た時間でした。この経験は、私の生きるなかの様々な選択で必ず大切な意味をなすと受けとめています。ブライル。本当にありがとう。salamat!

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