今週は地方での撮影。中日に京都東寺向かいに宿をとってくれました。撮影の合間の少しの時間。以前から東寺の宮本武蔵の描いた「鷲の図」と「竹林の図」が見たかったので、今回こうして訪れることがとてもご褒美となりました。鷲の図。かなりもう見えない箇所が多く広がっておりましたが想像以上に素晴らしかった。上に天空を羽ばたく鷲、下に地上から飛び上がろうとする鷲。その二羽の鷲に武蔵は何を込め描こうとしたのか実物を前にして強く感じてくる意識。そんな想いに身を寄せる。とにかく大きな存在だ。(写真は禁止なので是非現地で体感ください)夜は京都で活動をしている仲間と久々の再会。お互いの近況や表現を語らい、充実した時間をもらった。翌日、滋賀に移動しそのまま北九州へ入る。小倉は小学五年生の時ぶり。自然が多く時間の流れがとても穏やかな場所での撮影でした。この数日は、とにかく移動が多かったが不思議と、行く先々で元気のもらえる出会いのある撮影でした。ほんと有難いです。

念願かなって岡本太郎の太陽の塔、塔内再生初日に息子とのぼることができました。その次代、今を生きる人の為、後を生きる我々の為、生命の樹をとおして、人類規模の進化を体験できるアトラクションのような装置に感じた。階段を一歩いっぽと登る、その歩みの中に自らの体感と意識を繋げる巨大なシンボルツリー。息子と家族と手をつなぎ、生命の進化をたどる歩みは、岡本太郎さんの強烈なエネルギーを感じました。塔の最上階まで上がり、塔の完成までのプロセスを紹介する下り道、出口の一番付近、最後の最後に力強く書かれた「芸術とは呪術である」の言葉に、私はとにかく感動して全身が震え上がった。また、その言葉に救われた。「呪術」。辞書で調べれば、超自然的、神秘的なものの力を借りて、望む事柄を起こさせること。まじない、魔法など。と綴られている。様々なミッションや要望、希望を抱えた芸術分野のなかで、芸術を絞め殺してしまったかの様に思っていたこの国。少しでも早く外に出ることが大切に感じていた今の私にこの言葉は強く響いた。太郎さんが取り組んだ1970年。東京オリンピックの翌年。日本はまさに高度成長期のピーク、強烈に物質が生み出され、ものすごい速度でものが捨てられる、効率重視の大量生産の時代に、この人は自らの役割を徹底して後の生へと向けた。芸術の本質である呪術を通し、多くの人を感動させ、そして今、49年ぶりにこうして我々の世代、息子達にまで大きな指針を示してくれている。虚構を通して真実を明らかに継承する。それこそが芸術家や創造者の本質だと常々信じている。私は息子の手を握り、この言葉に触れたとき、自分はこの大切な小さな手の中に、しっかりと響かせれているのだろうかと強く感じた。そしてこれから、今まで以上に大きく挑戦していきたいと強く感じた。この貴重な体験を与え、チケットを取ってくれた妻に心から感謝したい。


諸々と開けまして、大きな流れの中にいますね。この度、ありがたい巡りあわせをいただきました。陶芸家、稲吉オサムさんの織部が手元にやってきてくれました。稲吉オサムさんは愛知県の陶芸家さんで、(私も偶然、愛知出身です)以前、花器を探している時に、都内の器屋の亭主からオサムさんの名前を聞き、調べて、ある作品と出会い、度肝を抜かれました。それは、とにかく歪で、力強い鼓動を感じる作品。これまで見てきた織部とは枠の異なるその創造は、宇宙のような、海底のような、まさにアリストテレスの四元素(火、空気、水、土)を感じる作品でした。そこからしばらくたち、2月のはじめの京都からの帰り道、高速道路で愛知を通った時に、急にオサムさんの織部を思い出して、とりあえず想いだけで連絡をしたところから始まり、そして、この度、初めてオサムさんを知ったきっかけとなった作品が、手元に嫁いで来てくれたのです。まさにミラクル。オサムさん、本当に感謝しております。これからも素晴らしい作品を世に残してください。楽しみにしています。織部、大切に使わせていただきます。


2018年。初日の入り風景です。今年、アトロは全力のなかでも、しなやかさを心がけ活動ししていきたいと思っております。多くの人に、映像とデザインを通して、喜び、驚き、感動を届けれる創造の場として成る行けるよう努力して参ります。2018年もどうぞよろしくお願いいたします。

12月のバタバタの中、無理にとってもらったチケットで、東京寺田倉庫のウィリアム・クライン×大野慶人×アノーニによる「たしかな心と眼」公演に足を運びました。アノーニは改名前のアントニー&ザ・ジョンソンズの頃から美しい声にとても魅了されていたミュージシャン。そんな彼の部分(アントニー)が彼女の部分(アノーニ)として新たな活動を開始。そして暗黒舞踏の大野一雄さんの息子、大野慶人さんとのコラボレーションによるライブパフォーマンス。私にとって大野慶人さんの父、大野一雄さんはとても大きな存在で。今までも、そしてこれからも自分の中に流れる魂の叫びに、初期衝動を与えて続けてくれる存在。舞踏家としても、もちろんのこと裏側の背景(舞踏が詳しいわけではないですが。)存在こそが私にとって尊敬している哲人。生前の大野一雄さんの書籍、言葉にはどれだけ救われたことか。そして、真実を観ること。そして、その真実を観ることを愛すること。真の愛知者になることを教えてもらいました。まさにテオリアの体現者と感じている。そして、暗黒舞踏を通し魂を解き放つ方法を世に現してくれたと感じています。この日のパフォーマンスには「たしかな心と眼」と表題がある。「たしかな」とは「心の眼」とは。非常に人間の本性を暴く題名と感じた。「たしかな」とは、プラトンは「たしかな」への道に必要なことは、魂を夜のような昼から、真の昼へと向きを変えさせることが大切であると言った。暗黒と名付けられる真実の闇を、真たしかな魂を持ってして、闇に光を放つ、そこに本当の「たしかな」が現れるのだと思う。よく私も叩きつけられることがあるが、そのシーンの知識と場に酔っているだけでは決して辿り着くことのできない「たしかな」存在がある。次に、「心の眼」を考えてみる。それは例えば物事、万物の全ては、誕生から終わりまでの流れの中で成立している過程のなかで、我々は日々、花や草木が枯れ落ちてくのをまぢかに見る。そう、全てに終わりがある。そこに絶対、不動はないのだと。しかし、心の眼でものを見た時、永遠の価値は大きく変わる。夜空の星は瞬きをやめはしない。今日の太陽はいぜんとして変わりない今日の太陽のまま繰り返される。眼に見えるいっさいのものを人間はそう見るにすぎない。しかし、ものごとを心の眼で見た時。大きな感覚の変化と、求める姿勢そのことに気がつくことができる。本日のパフォーマンス「たしかな心と眼」。このタイミングでしっかりと見ることができてよかったです。

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