12月のバタバタの中、無理にとってもらったチケットで、東京寺田倉庫のウィリアム・クライン×大野慶人×アノーニによる「たしかな心と眼」公演に足を運びました。アノーニは改名前のアントニー&ザ・ジョンソンズの頃から美しい声にとても魅了されていたミュージシャン。そんな彼の部分(アントニー)が彼女の部分(アノーニ)として新たな活動を開始。そして暗黒舞踏の大野一雄さんの息子、大野慶人さんとのコラボレーションによるライブパフォーマンス。私にとって大野慶人さんの父、大野一雄さんはとても大きな存在で。今までも、そしてこれからも自分の中に流れる魂の叫びに、初期衝動を与えて続けてくれる存在。舞踏家としても、もちろんのこと裏側の背景(舞踏が詳しいわけではないですが。)存在こそが私にとって尊敬している哲人。生前の大野一雄さんの書籍、言葉にはどれだけ救われたことか。そして、真実を観ること。そして、その真実を観ることを愛すること。真の愛知者になることを教えてもらいました。まさにテオリアの体現者と感じている。そして、暗黒舞踏を通し魂を解き放つ方法を世に現してくれたと感じています。この日のパフォーマンスには「たしかな心と眼」と表題がある。「たしかな」とは「心の眼」とは。非常に人間の本性を暴く題名と感じた。「たしかな」とは、プラトンは「たしかな」への道に必要なことは、魂を夜のような昼から、真の昼へと向きを変えさせることが大切であると言った。暗黒と名付けられる真実の闇を、真たしかな魂を持ってして、闇に光を放つ、そこに本当の「たしかな」が現れるのだと思う。よく私も叩きつけられることがあるが、そのシーンの知識と場に酔っているだけでは決して辿り着くことのできない「たしかな」存在がある。次に、「心の眼」を考えてみる。それは例えば物事、万物の全ては、誕生から終わりまでの流れの中で成立している過程のなかで、我々は日々、花や草木が枯れ落ちてくのをまぢかに見る。そう、全てに終わりがある。そこに絶対、不動はないのだと。しかし、心の眼でものを見た時、永遠の価値は大きく変わる。夜空の星は瞬きをやめはしない。今日の太陽はいぜんとして変わりない今日の太陽のまま繰り返される。眼に見えるいっさいのものを人間はそう見るにすぎない。しかし、ものごとを心の眼で見た時。大きな感覚の変化と、求める姿勢そのことに気がつくことができる。本日のパフォーマンス「たしかな心と眼」。このタイミングでしっかりと見ることができてよかったです。

久しぶりに家族でゆっくりと過ごすひと時。彼女は今、北海道の大雪を目の前に何を感じているのでしょうかね。まだ言葉を話さないだけで多くのコミュニケーションを感じようとセンサーは過敏に働く。言語を越えて寄り添う意識で繋がったコミュニケーションはとても不思議な感動を与える。まさにロゴスを塞ぐことでプラクティスとは更に生きがいを得るのだろう。彼女が誕生して来月で1年になります。いつも本当にふわふわしてて、家族みんなを和ませてくれる、大天使。まさに我が家の大福様の存在。いつもありがとう。

トロントから帰国し、そのまま羽田から次の現場、北海道へ向かう。数日前に降った雪が気温が下がらず残り、今回の撮影は変更になりそうです。自然を相手に、中心に、考えて撮影を行うプロジェクトが私はとても好きだ。日々、人間を中心に考えている自分自身の思考をリセットしてくれるように思う。大いに振り回されて結構。そのたびに人力のモチベーションで挑み直したいと思う。さぁ次への再調整。そして、唐突にできた時間。非常にありがたい間。気がつけば脚本を書き始めてホテルで結構な時間がたっている。時間とは非常に面白い。私は決して平行に平等に刻まれているとは思わない。今日は、雪のお陰もあって、なんだか一定の浮遊した時を満喫しています。明日は久しぶりに家族と会える。ほんと楽しみ。

トロント最終日、夕方から会場に向かう。タクシーでは、今回の受賞式に向けトロント出発前に連絡をくれた仲間、役者、関係者の思いを感じていた。海外記者のインタビューに答えるプロデューサーの辻さん。そして上映後の慣れない英語スピーチでは日本人の死生観を精一杯届けた。(完全に朗読ではありましたが。笑)それ以上に今回の私の目的は、言葉や文化の異なる世界の人に、どの様に届くのかを肌で確かめる重要な機会と考えていた。作品のクライマックス、主人公ハルが海辺で舞うシーン。その舞う姿がこれまでにない程美しく感じた時、私は素直に嬉しかった。我々は、ただ万人受けする映画を目指したのではなく、自我を越えた、日本人における美の意志を常に追求し、その表現が後を生きる生の為にある活動であったと感じた。会場を後にし3人で乾杯し、自然とそのままディスカッションをしていた。それぞれに思うことはあると思うけど、仲間と思いを必死にぶつけ合い相乗効果し芸術に取り組み、そして、その成果物を世の中に届けるため更に話しあう。我々は一体、どれだけの思いと時間をこの作品に注いで来たのだろうか。ホテルに戻り、今こうして思いを綴りながら思うこと。それは、私にとってのこの作品が宝なのではなく、こうして、ひとつの作品に共に分かちあうことの出来る、そんな仲間こそが大切な宝なのだと言える。いつも本当に支えてくれている家族、仲間、協力者に心からありがとうを言いたい。そして、更にこれからも多くの苦労を共にし、希望を世に出していきたいと思う。そう。今の我々は結果が全てではない。それよりも前にいる。それは、この今というプロセスこそが全てであり、それが結果となると信じている。原理原則とはとてもシンプルなのだと。

出来た空き時間でトロント市内にある教会、図書館や美術館など様々な文化を求め歩く。なかでも聖ミカエル大聖堂はローマカトリックの大聖堂教会で、カナダ最古の教会のひとつ。中に踏み込めば自分の奥と自然と向き合うことの出来る場所でした。よく神話や古代からの書籍をよむたびに思う事の一つに、言葉(活字)では、文明や文化の異なるフィーリングや認識にとても大きな溝が生まれることがある。そして、翻訳では更に大きくその方向性が商業をベースとした本質と離れた目的に向く不自然さがある。今回、こうして身を通じて感じる建築や造形物には、人の動きや音を操る。そして、壁画やステンドグラスによる絵画。それは一人ひとりの知識レベル、精神レベル、霊的レベル、それぞれの心理状態によっても映し出すものが異なることが重要であると感じた。私は、高揚した自分の気持をおさえ、しばらく腰掛け、かつての人は何を思い、何を願いこの場所を創造したのかに身を寄せた。そして、その中に自らを問うことをした。しばらくして意識は高貴な状態へと向上し、自分の振動をしっかりと捉えていた。その地を支える宗教感や精神性はとても大切なことなのだと思うと同時に、自らの哲学と、その上での芸術の役目を何より強く感じた。夜は他の受賞者4種の受賞作品を見に会場へ。とても充実した一日でした。

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